雛人形に対する疑問にお答えします

若い王はマリーに求婚し、マリーは承諾する。
マリーは王妃となってマジパンのお城で暮らすようになる。
彼女はとうとうこの世から離れ、現世ではない別の国に行ってしまったのだ。 現実に生きる子どもを描く物語なら、最後にマリーはこの世に戻ってきただろう。
そして、くるみわり人形とねずみの戦いも「夢」だと主人公マリーにも読者にも思わせて終わりにすることもできたに違いない。 行きて帰りし物語にすれば読者の気持ちを落ち着かせる。
しかし、そうしないで、別の世に連れて行って、行ったまま帰らない物語にしたのはなぜだろうか。

作者H氏は、一七七六年生まれのドイツ・ロマン派の作家で、幻想文学の奇才といわれている。
多彩な才能があった人で、小説家、詩人、作曲家、音楽評論家、画家であり、そして裁判所の判事でもあった。 この「くるみわり人形」をH氏自身は「子どものための物語(メルヘン)」と名づけている。
しかし、幻想と現実を行き来し、子どもを危機に立たせて、大人の援助を望めなくし、ついには現世でない別の世に連れて行ってしまうというような物語は独特だ。 大人のための幻想文学を書き、日常から非日常に入り込んでしまう物語を得意とした著者のことだ、やはり、この作品にもその色合いがあるのかもしれない。

また、若者がみにくい人形にさせられ、その呪いを解くためには少女の自己犠牲が必要だという設定には伝説や昔話の雰囲気も感じる。 この作品はよく読めばもっと深い意味があるようだ。
これは子ども向けと思わせて、じつは子どもにも、大人にも、解くことのできない謎を秘めた物語なのかもしれない。 人形を登場させているが、ほかとは異質のちょっと怖い、不思議な味わいのある作品になっている。
街がクリスマスモードに入るのが、年々早くなっているようだ。 テレビニュースを聞いていたら、「クリスマスの飾りつけが始まりました」といっていたので、「あれっ、もうそんな時期?」と思ってその日が何日かカレンダーを見たら、十一月一日だった。
早いような気もするが、ドイツに住んでいた知人によると、ドイツでも十一月になるとクリスマス市が立つそうだ。 市はとてもきれいで、楽しいとのこと。
ぜひ一度は訪ねてみたい。 私も、街のクリスマスの飾りを大いに楽しませてもらう一人だ。
私の住む市では、駅近くの高いイチョウの木に明かりをまとわせてフリーを作り、クリスマスムードを演出している。 それに、クリスマスの頃の商店を歩けば、うきうきわくわくした楽しさが感じられる。
この『クリスマス人形のねがい』もクリスマスの頃の店が出てくる絵本。 舞台は、おもちゃ屋だ。
おもちゃは子どもたちヘクリスマスにいちばん多くプレゼントされているものだ。 その店にはボールもあれば、汽車、ヨット、太鼓、ぬいぐるみ、木馬など、おもちゃがたくさん置いてある。

当然ながら人形もある。 赤ちゃん人形、花嫁人形、水兵さんの人形、そして、昨日箱から出されたばかりの人形もあり、その人形はホリー(ヒイラギ)という名前だ。
着ているものがクリスマスカラーだったので、その名になった。 背の高さは三十センチくらいで、ハシバミ色のガラスの目は、開けたり閉じたりできるし、歯は陶器でできていて、小粒の真珠のようだという。
バーバラークーニーの描く人形ホリーはとてもかわいらしい。 両手を広げて「ねえ、私を抱いて」とでもいうようにおもちゃ屋のウインドーに立っている。
ところで、おもちゃたちが、クリスマス・イブに何を考えているのか。 そんなことを考えたことがあるだろうか?
少なくとも私は考えたこともなかった。 G氏のこの絵本を読んではじめて知ることができた。
作者によると、おもちゃたちは誰かに買ってもらいたいと望んでいるのだという。 「きょうこそ、だれかに買ってもらわなくちゃならないわ」お人形たちがいいました。
「きょうじゅうにね」ホリーもいいました。 お人形たちはぬいぐるみのクマのように、両手をさしだしました。
当然のことですが、おもちゃたちは、あなたたちとは反対に考えます。 「クリスマスには、小さな男の子か女の子をもらえるのよ」人形たちは、自分たちに人間が「もらえる」と考えているとは。
この逆転の発想は面白い。

ただ、ほかの人形たちがそういっても、ちょっぴり心配なホリーはこういう。
「わたしももらえるかしら?」ホリーが聞きました。
「うちができるんだ」
「わたしにもできるかしら?」ホリーがまた聞きました。
おもちゃ屋の人形たちは、みな買ってもらおうと必死なのだ。
さて、「きょうはいそがしいぞ」といいながら、クリスマス・イブの朝、おもちゃ屋の店主と店番の少年が入ってきた。 するとおもちゃのおしゃべりはやんだ。
おにんぎょうたちのおしゃべりはたちまちやみましたが、たがいに、「ねがいごとならできるわ。おねがいしなくちゃ」と、ささやきあっていました。 ホリーも小さな声で、「わたしもおねがいしているわ」と、いいました。
この物語は「願うこと」の話だ。 これが、作者のメッセージなのだろう。
G氏の書く人形物語のどれにも出てくる基調低音は「人形は願うことができる」ということだ。 しかし、「願うことはかなう」といっているのではなくて(物語ではたいてい願いはかなうのだが)、「なにもできなくても願うことはできる」ということをいっているのだと思う。
人形たちは自分から働きかけたり、ことばを話して主張したりすることはできない。 その人形ができること、そして、最も大事なことは「願うこと」と語りかけている。
しかし、人形でなくとも、ものいえぬ状況に立たされることは人間にもあるのではないか。 そう思うと、このメッセージはじつは人形だけでない、広がりのあるものとして聞こえてくる。

ところで、クリスマス・イブのおもちや屋では、ゾウもクマのぬいぐるみも人形もどんどん売られていった。 にもかかわらず、夕方になっても、ホリーを買ってくれる人はあらわれなかった。
つまり、売れ残ってしまったのだ。 ただ一人ホリーにちょっと目をとめた人がいた。
ジョーンズさんという、おまわりさんのおくさんだった。 ジョーンズさんのおくさんはなぜか、今年のクリスマスにはきれいにツリーを飾ったり、「どこかで女の子が見つからないかしら」などといつもとちがうことをいっていた。
ジョーンズ夫妻には子どもがいなかったのだ。 だから夫でおまわりさんのジョーンズさんはおくさんのいうことを聞いて不思議がる。
けれども、おくさんは今年のクリスマスには、クリスマスの準備をなぜか整えてしまうのだ。 この物語には、人形ホリーと、ジョーンズのおくさんの物語ともう一つ、アイビーという女の子の物語が交差してそれぞれ別々に語られ、最後にパズルのヒースがぴたっと合うように完成する。

そんな物語の構成になっている。 アイビーは六歳になる女の子。
孤児院で三十人の子どもたちと暮らしている。 クリスマスになって、どの子にもクリスマスの間だけあずかってくれる人がやってきて、連れていく。
けれども、アイビーだけには誰も迎えがこない。 どの家も彼女を招いてはくれなかったのだ。
ときどき、アイビーは胸のおくがからっぽになったような気がして、そのからっぽになったところが、チクチク痛みました。 痛くてたまらなくなったら、すかさずになにかいわなくてはなりません。


今、最も注目を集める雛人形についての情報をまとめたサイトです。
わずかな情報も見逃さない雛人形情報に精通したサイトです。
雛人形について紹介している良質なサイトの情報はこちらです。